他人への関心の無さがもたらす人生

気づいたら家族が重病追ってたり死んでたりすることが人生の中で多すぎて

なんで気づけなかったんだろうとか後悔することよくあるんですよね。

 

でも詳細に振り返ってみると、なるほどそりゃ気づかない筈だなと思うところが多くて、

気づけない原因は、多分私が自分のことを好きすぎるのことなんだと思う。

 

人間というのは、問題が発生したときにこそその人の人と成りがもろに出てくるので

例えば兄弟が喘息で危篤状態の時、私は見舞いなんかよりも友達と遊びたかったし

兄弟が交通事故に遭ってMRIに運び込まれたとき、私は部活で忙しくて見舞いを面倒に感じていた。

母がベッド動けなくなったときもなんで受験勉強の邪魔をされなきゃならないのかと苛立っていたし、

つまるところ、私は家族にあまり関心が無かった。

 

むしろ、なんでこの人たちは私の人生の邪魔ばかりするんだろうと思ってた。

特に愛情らしい愛情も貰った記憶が無かったし、思春期に部活で悩んでいたとき、泣いてしまったときも温かく抱きしめてくれたのは友達のお母さんや、友達だけだったからだ。

家族なんて、各々勝手に健康に生きててほしかった。

綺麗事を言いながらも死人からも金を毟り取ろうとする姉には虫酸が走ったし、

結婚結婚とうるさい親戚もこの人たちと関係続ける意味あるのか?って思ったし。

 

けど、あまり互いに干渉しない共同体って結局自然消滅みたいになっていくんだよね。

 

私の周りで日々賑やかに生きてるご家庭は総じて寿命も長い気がするし

なんだかんだで事故に遭っても回復力が断然違うように感じる。

 

この先、きっと子供を産む産まないの選択肢にぶちあたると思うんだけど、

私は家族を不幸にするとしか思えないなあ。

他人への関心の無さ、本当にどうしようもない。

気づいたら遺書を書いていた

遺書を書くに至った経緯。

 

レクサプロの個人的な効果は、「悩みの強制終了」だった。

悩み続けるができない状態なので気分は自ずと回復し、

とくに集中して何かをすることはできないけれども穏やかに日々を過ごしていた。

 

そのせいで薬を飲むことを忘れてしまい、年末の5日間くらい飲んでいなかった。

年末、色々あって独り身の者同士を紹介したり、姉夫婦の元で過ごしたりしていた。

それが油断だった。

 

姉夫婦はなんというか知能が低い上に論理性のかけらも無く、ただただ自己都合の感情論でしか物を語らない傾向にある。

元気なときは聞き流せる違和感を、わたしは聞き流せなかった。

 

「子供って嗜好品よね」

しじみちゃんは結婚しないの?」

 

この2点の発言に対して怒りを増幅させた上に、叔母さんから

しじみちゃんは結婚しましたか。したらな教えてください」

と雑な字で書かれた年賀状の写真を送られたことにより、私は怒りに支配された。

 

なぜ彼らはこんなにも常識が無いのか?

こんな田舎者の恥知らずを私の彼に紹介などできない。

結婚は制度であり、戸籍が改変するレベルの出来事なのに、なぜ第三者がこんなにも口やかましく囃し立てるのか?

 

と考え始めたら止まらなくなってしまい、レクサプロによる感情の制御も無いまま

「こんな不幸な人々に囲まれた私なんかと結婚したら彼の迷惑になる」

「職もないし将来に対する担保が何もない。死ぬしかない」

と思い始め

 

自分の銀行口座の暗唱番号と、亡くなったら手続きをしなければならない証券口座や奨学金、生命保険などのメモと同居人氏への感謝を書き残し

父と同様、暖房もつけていない冷たくて薄暗い部屋で泣きながら眠った。

 

目を閉じても涙が溢れ、動機も止まらなかった。

ふと、レクサプロを飲み忘れていたことに気がつき、

レクサプロ1錠とリーゼ3錠を飲み、心を鎮めて眠りについた。

 

 

 

振り返りだが、私は他人に干渉されることが心のそこから苦手なようだ。

私だけじゃない、誰でもそうか。

ただ、他人の言動はコントロールができない。

なので、彼らには近づかない、関わらないが最善の策だし、そうするしかない。

 

だがこの策は父親に対しても同じことをしてしまった。

つまり、私はこれからもそういった人種が身近にいればいるほど

彼らを孤独死させてしまうだろう。

 

誰も気に留めない暗くて寒い部屋の中で、ひどい頭痛から意識が混濁し

たった一人で死なせてしまうのだろう。

 

そう思うと、私はとても悲しくなる。

医療費控除とかセルフメディケーション税制への所感

今年度は休職前に胃腸を壊しまくって夜間救急に駆け込んだり、ODか????って量のロキソニンを貪り食ったり、長引く風邪をなんども引いたりしたお陰で(?)医療費控除が受けれるくらいの医療費がかかっていました。わーい。嬉しくない

 

で、申請できるので改めて昨年度の申告書フォームで予習をしていると

セルフメディケーション税制」たるものが申告できそうなボタンを発見...したけど

これはどうやら医療費控除との併用ができないみたい。

 

医療費控除が医療費10万円の超えた金額の控除に対して、

セルフメディケーション税制は1万2000円超えた分でいいのか、安いな!

と思ったけどそもそも"スイッチOTC医薬品"っていう、

「医者から処方されるレベルの医薬品が市販で売られているものに限る」

という医薬品に限定されてたので、愛飲している粉のパブロンAとか、睡眠導入剤のウットとか、パブロン鼻炎カプセルSとかは対象外なんですよね。

 

市販薬1万2000円の壁ってチョロいじゃん!

って思ったら普段使いの薬はほんとイブクイックとか、ロキソニンくらいしか対象じゃなくて、

レシートかき集めても4000円くらいにしかなりませんでした。。

 

併用もできないし、これ一体どの層が対象なんだろうか。。。

症状を自己判断して医者にかかる余裕の無い労働者?

 

スイッチOTCって名前つけてるくらいなので、医療費控除との併用可にして

徐々に市販薬に文字通り"スイッチ"させる制度作ったほうが良いと思うんですよね。

それこそ処方箋や医薬品の明細書に「市販薬で代替可能です」みたいの書かせるとか。

 

そしたら連続して通院&処方しなくてもある程度は自己判断できて、医療費減ると思うんですよね。

ちなみにセルフメディケーション税制は健康診断の診断結果とかも提出しなきゃいけないみたいなので、そこもまた面倒です。

 

会社員は会社から健康診断受けさせられるけど、無職とかアルバイトはきついかもね。

制度設計時にどのボリュームゾーンが対象なのか、そのゾーンの生活実態はどうなのか、

とかもう少し調査してほしいと思いました。

 

制度に難癖つけるだけの日記でした。

そろそろ年が明ける...

 

帰り道にカップルが別れ話してた

焼肉の帰り道、信号待ちしてたら突然隣のカップルの女性が大泣きをし始めた。

 

「側に居させてよー!!」

 

って言って泣きながら男性に抱きついてたけど、男性は冷めた風な感じだった。

 

 

 

おーおー自分も大学生クソメンヘラのときにそんなこと言ったことあるなあと思いながら聞いてた。

 

 

 

女性、今はきっと冷静になれないと思うが、落ち着いた頃に伝わってほしい。

 

ここから先はポジショントークになるかもしれない。

 

けど落ち着いて考えてみてほしい。

そもそも公共の場で別れ話っていうプライベートの極みの話を切り出す男なんてロクな男じゃない。

そしておそらく、”女性に泣きつかれた“こと自体がそいつの成功体験として記憶されるので、そんなクソナルシスト野郎と縁が切れてむしろ正解である。

 

この手の公共の場でプライベートな交渉してくるタイプの男性、間違いなく女性を下に見ているし、相手に対する尊厳とかは持ち合わせていない。

俺がこの時にフッてやったんだぜくらいにしか思ってないだろうな。

愛を何なのかも知らないお粗末な人間だ。

 

これは断言できるが、間違いなくその後セフレ生活が始まる。

これはもう100パー言えること。

 

そんな自分に尽くしてくれないクソ野郎は相手にするだけ時間の無駄であり、女性として一番楽しいこの時期を割いてやるほど女は暇ではないのだ。

 

なので、強く生きてほしい。

 

 

 

でも、今は心が傷ついて疲れていると思うので

たくさん泣いて、発散して、素敵な女性になって、素敵な相手を見つけてほしい。

 

たくさん泣こう。

生きるには恐ろしすぎる世界

何もかもが怖い。

 

こういうのって病気なのかな。

 

昔から夜寝れなくて、でも町は眠ってしまって、とても寂しくて窓から家の前を通り過ぎる車をずっと眺めてた。

ライトを照らしながら走る車たちは、こんな時間でも眠れない私の仲間だと思ったから。

姉も母も寝てしまって、どの家だって明かりが消えてて、一人だけ置いていかれたみたいですごく寂しかった。

 

今思えば寝れないなら本を読むとかすればいいのにって思ったんだけど、小さい頃はそんなことよりも人と一緒に過ごしたかったんだよね私はきっと。

 

人に関することもそう。

人からどう思われているか、よりも「この人を傷つけてしまったんじゃないか」ってとても気を遣う。

食事に誘われたら終始ニコニコ口角上げて眼を細めるに徹している。

話を飲み込む際に無表情になってしまうし、普段から表情が無いので怖いと言われることが多かったせいもある。

 

コンビニ人間』でいう”異物”になりたくなかったからだと思う。

 

昔から周りの大多数ができていることが私にはできなかった。

遠足の集合時間を間違えたり、動物園で動物に集中していたら置いていかれてたり、正論が通じない場面があったり、国語の問題が苦手すぎたり、逆上がりが私だけできなかったり、班長なのに遠足のゴール時間を間違えたまま計画を立ててしまったり、、、

 

例を挙げれば暇がない。

 

集団の大多数ができていることについて、私だけができなかった。

少しの注意不足がいくつもの失敗を招いて、その失敗たちが私から自信をどんどん奪っていった。

 

今はもう何もできる気がしない。

ただただこの恐ろしい世界が早く終わらないかなって思ってる。

 

助けてくれる人はたくさん居たのにな。私は立ち直れなかったや。って

 

社会保障は誰からも愛されない人のためにある

社会保障と言えば少し前に話題に上がった自治体の家賃補助制度や生活保護、その他障害年金など、困窮に陥らないためのセーフティーガードとしての役割を担っている。

 

生活保護受給者について、身近には居ないけれども彼らに関わる仕事をしている人の話を聞く限り、人間性や性格に多少の難がある方が多いようだ。

(人間性という言葉も曖昧な定義でよく理解はできないけれど。)

 

また、金勘定ができない、金銭管理ができず気がついたらお金が無くなっている、会社に適応できない人など。

人間性という教科書を用いるならば、教科書には当てはまらない人たちなのだろう。

また、親から愛されず、人の愛し方もどことなく不器用でうまくいかなかったり、付き合い方や距離感がわからず愛される機会が無かったり。など。

 

私個人の想いだが、生活保護などの社会保障はそういった、誰からも愛される機会が無かった。けど生きてていいんだよっていう制度だと思っている。

 

資本主義社会では、賃金を稼ぐために働かなければならない。私たちは小学生の頃から集団行動で適応できるように訓練を受けているが、どうしても環境に合わない人だっている。

それは環境に合わない人が悪いのでは無く、適合した環境に巡り会えなかった運の悪い人だと思ってる。

 

困窮だってそうだ。たまたまお金を借りれるだけの信用が無かった、助けを求める勇気が無かった、人はたまたま不運になってしまうことだってあるのだ。

 

そういったたまたま不遇な境遇に置かれる可能性は誰しもが持っているものだと思う。

 

でもそれは巡り合わせが悪かっただけで、そういった生きにくい人たちが生きてて良い権利を国が保証してあげること、それこそが社会保障の意義ではないだろうか。

 

生活保護バッシングや、弱者に対する偏見を見聞きする度にそう思う。

 

この価値観は最近になって持つようになった。

それこそ『最貧困女子』や『死体格差』を読んで、さらには父の死を経て得た価値観だ。

 

弱い立場の人はたまたま運や巡り合わせが悪くて、本人ではどうしようもできないことがある。

出生から立ち返るならば、私たちはたまたま日本で生まれて、たまたま衣食住に困っていない親の元に生まれて、たまたま高校や大学に行けて、たまたま社会生活を送っているにすぎない。

 

その逆だってあることも忘れてはいけない。

 

たまたま日本に生まれたものの、衣食住が保証されず、家計は火の車なのに社会保障に巡り会えない、お金のリテラシーや貨幣価値の教養を持たないために貨幣が保存できない、我慢ができない、怪我をしたのにお金が無いから医者に連れて行ってもらえない。

 

私が今ここで療養しながら、ブログを書けているのなんて奇跡に等しいんだということを、忘れずに生きてゆきたい。