広義的に良いことがあっても狭義的につまづいただけで結局だめな日になる

3時寝た割に朝は異様に早く目が覚めてしまった。

そろそろ本社面談が迫っているからだろう、現実と向き合わねばならなくなってきたからか。

 

休職期間は残すところ1ヶ月を切ったわけだが、病状が回復する気配はない。

それどころか頭痛が悪化して泣きながら駅員に訴え、駅員室で1時間以上休ませていただいた始末である。

 

ずっと考えてる。これからのことと今までのこと。

精神疾病患者が考えてはいけないことトップ2である。

これからのことについては、正直死んだほうがコスパ最強なんだけど先に父が死んだこともあり、もうすこしポジティブにというか誰も悲しんだりしない方法を考えたら結局生きることになってしまいそうで、そうであるならば、もう少し苦しくない生き方なんてのもあるのではないかと考えていた。

ちょうど落合陽一の本を読んだ機運もあってか、趣味の方向でそのまま極めていったらマネタイズできないかと模索している。

 

がしかしすぐに結果が現れるわけではない。

やはり株かと思い、iphoneで過去にとっておいた様々な手法のスクショや株クラスタの経済の察知の仕方、BNFのIN判断基準など、株に関するエッセンスをひらすら読んでいた。

私は決済したら必ずスクショを残す。

そのため利確スクショも損切りスクショも両方の画像が取ってあった。

よくよく利確していたころの手法を思い起こしてみたところ、私は線を引いてブレイクポイント見極めてた頃が一番運用成績がよかった。

 

なのでそそくさと3銘柄ほど売買してみたら読みが当たって今日も利確したし、明日も利確できれば万歳という感じ。

本格的に株をやってみたくなった。

 

昼はすごくサブカルクソ女が好みそうなシアター映画を横浜に見に行った。

夢の中で鹿となって出会った男女(若い女性と老人)が恋に落ちてく映画なんだけど、

主人公の女性がとにかくADHDで、交わした会話全部覚えてるし、カウンセラーからのアドバイスで音楽聞いてみたらと言われたら閉店までCDを視聴してたり、恋が実らないだけで手首切って死のうとするような極端な子ですごく好みだった。

食肉加工工場が舞台なので牛の屠殺シーンとか普通にあったし、なんならモザイクかかってなかったので新しい世界も見えた。

館内はお年寄りの人がすごく多くて、屠殺=穢れみたいな教育(受け継ぎ?)を受けてきた世代と思うのでこれあとで年寄りから抗議あったらやだなとか思ったけど、

お年寄りはみんな情事のシーンは物音ひとつ立てずに凝視してたし主人公の女の子が上記のような極端行動が出たときはわはははと笑ってた。

見方によっては見世物小屋をみてる感覚なのだろうか。私には笑えるシーンなんてなかったんだけどな。

 

最近趣味で軽めの3Dアートを始めたのだけどこれが意外とハマってしまった。

IKEAのかっこいい家具を金額的に買えない、面積の問題で飾れない腹いせに、

自分の部屋を作っていろんな家具を模して3Dオブジェクトを作っている。

もともとイラストロジックが大好きでドット絵の素養はゼロだけども立体セル画は得意だったみたいだ。

 作ろうと思ったものが作れるのはとても楽しい。これで食ってこうかなとおもったけど立体セルで作った3Dオブジェクトなんて需要がピンポイントすぎるので求人が無い。

 

まあ現実的ではない。

 

今日はこんなにも自己肯定感高まるブル要因満点なのに、

同居人が作った料理に「ごちそうさま」を言ってくれなかっただけですごく機嫌悪くなってしまった。

 

はあ本当にくだらない動機

 

失えばなんだって美しい

父は我々世代の親にありがちな内弁慶、プチ亭主関白、躾は暴力を以って、さらに女が泣くと暴力が加速する、典型的な精神疾病だった。

 

幼少期の我儘、思春期に起こった様々な出来事、生活感の違い、進学進路についてetc...

その都度、私の意思は論理的な解決のないまま暴力で押し込められた。

中学生の頃は家庭の居心地が悪く、部活の部長職でも疲弊し、受験期になるも勉強が不慣れで、いざ勉強しようとするとテレビの音量が大きくて集中できず、サボっている場面ばかり切り取られて怒鳴られ、正直生に対して疲弊していた。

ずっと自殺について考えたり、手首を切ってみたり、援助交際相手目的でおじさんと連絡を取り合ったりしていた。

いざとなったら家出してやろうと思っていた。

 

母親が父に甘えっぱなしということもあり、精神が成熟しておらず、母としての役割も特に果たしておらず、若年の痴呆や統合失調症の症状が出始め、私はパニックになって刃物を持っていたら姉に包丁を向けられたこともあった。

 

今の生活では考えられないような、感情の発露に包まれた生活だったな。

 

私の友人でも親から暴力で躾られている人がいるが、いずれも不登校、メンヘラ、援助交際、果ては親元からとっとと離れていく努力を人一倍にしていた。(早く安定した職に就職する、深夜まで家に帰らない、男を見つけて泊めてもらうなど)

サンプル数は少ないが、暴力が教育に良い寄与の仕方がしないことがわかると思う。

 

もちろん、父は優しいときの記憶のほうが多いし、私の将来を思って自分の意見を貫こうとしていたのかもしれない。(女に学問はいらない、しかしバカ大学でもいいので大学は出ろ、世は学歴社会だ。など)

けど、暴力というのは因果関係や理論的な説明が一切つかないコミュニケーションのため、そこから思考がシャットダウンするというのが最大のデメリットだ。

 

老いて自分の役割が社会から排除されはじめると、父の暴力性は無に還った。最終的には骨にまでなってしまったわけだけども。。

 

写真は良いものだ。なんたって家族写真には暴力の写真が無いのだから。

 

父は年老いたが、実家での生活が窮屈だったため家を出た。

働き始めて、ああこんなに日々忙しかったら仕事にリソース割きすぎて教育まで手が回らないのも頷けると思った。

まして母は教育や躾には力不足だったため、父への負担が大きすぎたのだ。

あの頃の父の状況を振り返って、少しは父の立場に立って考えることができた。

 

老いて性格が丸くなり、さてこんな父でも育ててくれたし親孝行しなければ、しっかりした彼氏を見つけたんだぞ、同棲をしようと思っている、一度顔合わせに食事でもどうか、と報告しようと思った矢先に亡くなってしまった。

 

実に呆気ない。

人間同士の問題は、時間が解決してくれることも多いが、良い報告は早めにしなければ伝わらないこともあるのだと思った。

 

また、亡くなった人の思い出は美化されやすい。

だが、教訓のためにこういった汚い思い出もとっておいたほうがいいと思う。

 

美しさだけでは、本当に苦しんでいる人を救えない。

生きてたログを吐き出さないと生命維持のコストばかり意識してしまう

休日の朝は配達員の鳴らすインターホンが目覚まし。

レースのカーテンとレターパックが届いた。

証券会社に提出していた印鑑を姉に渡したままだったんだ。

 

レースのカーテンはベルーナで注文したものだ。

ベルーナの箱に40代向け化粧下地、ヘアオイル、マッサージクリームのサンプル品が入ってた。

年齢全然違うけど。。有難いのでヘアオイルを使ってる。おばさんの香り。

 

カーテンは家具屋で買うよりサイズ測ってネットで注文するほうが断然安い。

サイズ測ったのに結局裾が長くてミシンで修正した。

ミシンを踏むのは楽しい。丁寧に、集中すれば成果が反映されるから。

 

朝 兼 昼ごはんはイカスミパスタと小松菜の煮浸し、トマトのサラダ。

バターの賞味期限が切れているので紅茶のパウンドケーキを焼いた。

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いくらフランスバターでも賞味期限が切れると価値が一気に下がる気がしてる。

 

ソファのカバーを注文した。同居人がソファでよく寝るので、汗が気になった。

この前お客様も来たからだ。

ソファについてるクッションのカバーが全て外せて洗えたので座席半分を洗濯した。

 

’タンブル乾燥‘という、ドラム式洗濯機の熱乾燥ができないため

洗いのみ行い、扇風機を当てて乾かした。

倉庫から出したときの臭いもついでに取れた。

明日また洗おう。

 

近くのロフトで在庫一掃セールをしていて手に入れたペーパーナノというペーパークラフトを組み立てている。

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1円玉より小さいアイテムをピンセットとボンドだけで作ってる。発狂しそう。

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サンプル作製のお仕事とか無いかなと探してみたけど、そうそう見つからない。

 

通ってる陶芸教室からお仕事をいただいた。お仕事というよりお手伝いみたいなんだけど。

彼女も親族が病で倒れて、正常に意思疎通が取れない状態とのこと。

やはり親族は大きい。私もあれからずっと何か軸が抜けたように生きてる。

けど彼女にはお店を大きくしたいという夢があって、やりたいことが見つかるのは良いことだし、私もちょうど手がなまっていたので手伝わせてもらうことになった。

 

最近は生命維持のコストがかなり高くなっており、コストの掛からない方の選択が視界に見える。

このまま同居人氏を退屈させたまま共に過ごすのは失礼なのではないだろうか。

なぜ、窓から見えるカップルたちのように、いつも笑顔を提供できないのだろうか。

 

どうやったら同居人氏を幸せにしながら自己を保っていられるんだろうか。看取られたくはないな。

弱っているときに近寄ってくる人について

私の家庭環境は正直言ってあまりよくない。

そもそも家庭環境なんて比べるものでもないし、衣食住が取れない、家が無いというレベルではないが、おそらく、一般的な家庭と比べて家族が病気したり不幸な目にあったりという出来事が多く、人生がだいぶ早送りに感じられた。

まだ若干20代ではあるが現時点で父は亡くなり、母も先は長くない。

 

不幸が発覚する都度、私を助けてくれる人にたくさん出会ってきた。

話をたくさん聞いてくれたり、暖かいご飯や声援をくれたり、色々なアドバイスをしてくれたり、料理を教えてくれたり。感謝してもしきれない人たちだ。

 

だが、同時に弱っている私を自己承認欲の餌にしてしまう人も少しだけ現れる。

例えばそんな人が友達と思っている人だと、弱った心にはダメージになってしまうし

新しい偏見も生まれてしまって精神衛星上とても良くない。

  

弱っているときに声を掛けてくる人の中には一定数、

”弱者救済をしている自分” が好きな人がいる。

弱者に寄り添うことで何かが満たされるといったタイプだ。

名称が長いので”擬似救済者”とでも呼ぶことにする。

 

今回は、なぜ擬似救済者が発生してしまうか発生原因を3つに絞って持論を述べようと思う。

もちろん実体験なのでサンプル数は少ないし、助けてくれる人がそんな人たちばかりではなく、心の底から慈愛を持って助けてくれる人たちのお陰で今日まで生きてこれたことを忘れていない。

 

 

安部公房曰く、

”弱者への愛には いつも殺意が込められている”

この価値観は擬似救済者の真髄みたいなものと考えている。

 

 

【発生原因①:話掛けるハードルの低さ】

コミュニケーションにおいて話の掛けやすさは非常に重要になる。

"腰が低いと話掛けられやすい、態度が横柄だと話掛けられずらい"

といったコミュニケーションのハードルから察するに、

”弱っている人” は話掛けるには最強にハードルが低い状態だと言える。

駅のポスターでも「何か困っていますか?」の声かけを推奨しているため

もはや弱者への声かけは大義名分の担保付きだ。 

 

擬似救済者は会話のハードルに軸を置き、本質である”会話の内容”は二の次のため

結果、そういった本質外を気にする、特に心の底から助けたいわけでもない人たちが一定数混じることになる。

 

尚、自分が不幸であることを言いふらす必要などない。

落ち込んだ顔をしているだけで寄ってくるため、不幸が物理面に出てきやすい人は被害に遭われたことが多かっただろう。

 

【発生原因②:絶対的な善】

弱者を救う事自体が、動機はどうであれ”絶対的に善である”こととなる。

それが例えば車椅子の押し方が正しくなくても、手伝った結果遠回りな作業が発生したことになっても、本人の自己満足で不幸話の自慢大会になっても、間違った知識を前提に弱者救済を訴えても、そういったアクションを起こすこと自体が善活動なのだ。

 

「やらない善よりやる偽善」

この言葉はたしかに良い言葉のように感じるが、実際には

「理解や状況把握した上でやる偽善」

が一番正しい偽善だと思われる。

 

具体的には、荒んだ家庭環境や障害に対する正しい知識を身につけることが一番だ。

中には本人にしか気持ちが分からないため触れてほしくないことだってあるため、本人が言い出すまで待つほうがいい場合もある。

 

弱っている人間に対しては、”これ以上不幸が起こらないように努める”ことが最大の善である。

新しいことをさせようとしたり、擬似救済の実体験に寄せて理解していると伝えることはお門違いである。

 

【発生原因③:擬似救済者自体が救済されていない】

 これはもはや生育レベルの問題なのでこれ自体が救済できない。割愛。

 

 

 以上の3点から、擬似救済者が発生しては弱っている人間を餌にして自己承認欲を満たすためだけに話を聞きかじり、終いには自分もそのレベルまで不幸だから頑張れだなんて見当違いの意見を吐き捨てて帰るだなんてことが発生する。

 

 

不幸な目にあっている当事者としてはもはや避ける方法は無い。

違和感があった時点でコミュニケーションを切り上げるのが最前の方法だとは思うが、冷静になってからで良い、FOすることを推奨する。

 

彼ら彼女らは絶対にボロを出す。

例えば不幸でもなんでもないのに自分も不幸だと言い出す、当事者に向かって"頑張れ"と言う、持論や自分のエピソードを聞かせ始める、スケジュールを考慮せず誘ってくる、など。

その予兆が出てきたら一度距離を置こう。

友人関係を続けてきたのなら尚更、友人が醜く承認欲求を満たす様を見てしまうなんて余計に不幸な出来事だから。

引越し前夜

もうあと3時間もしたら新しい家に引っ越すことになる。

夢にまで見た(そうでもない)同棲生活の始まりである。

 

今も私が彼の家に住み着いている状態なので、実質同棲しているのだが

改めて生活空間が移るというのはなんだか‘けじめ’感あるなあと思う。

 

そんな中、私自身が休職の身であるため肩身狭く感じているものの

同居人氏はそこまで気にしていないようだ。

 

傷病手当金も出るしゆっくり休めばいいんじゃない?

な感じで受け入れてくれているだけ感謝しかない。

 

引越し先は立地が立地なだけに通っていた大学の図書館へ往復400円くらいで通うことが出来る。

大学図書館は卒業生も利用でき、さらには自習室では電卓も使えるとのことなので勉強にはもってこいだ。

 

区の図書館では区民が対象となるため自習スペースもなかなか取れないことが多い。

我ながら、あの大学の卒業生でよかったなとしみじみ思う。

 

色々と時間の節約ができ、自炊する気も満々(気分だけ)のため

家事を含めて私にできることを少しずつこなしていこうと思う。

休職生活

めでたく休職生活がスタートしているわけだが、何をしようかてんで思いつかない。

いや、療養に努めよとか書いてあった承諾書にサインはしたのできっと療養しなきゃいけないんだろうなあ。。

ついでに弊社は社内規定が配られず、労働者側が不利を強いられるブラック企業のため

休職期間もオマケのような短さで3ヶ月だった。

休職経験のある友人に聞いても、3ヶ月は短すぎで、普通は1年だろうとのこと。

役員までは話が通じる感じはするが(印象だけかもしれない)社長は機械的な人間だった。前段として親が死んだとか、その辺の情報は覚えてないだろうし、何なら厄介な社員だと思っているだろうな。

会社愛みたいなものは最初から無くゼロの状態だが、まあマイナスに振れたといったところか。

休職面談でも、私が「3ヶ月で治せるかはわからないので不安ですね」と言ったところ

「でも社会保険料の負担が大きくてね」だなんて平気で言うような人なのでお察しです。

まあ3ヶ月で在籍はなくなるが、傷病手当金自体が延長できるし最悪失業保険もあるので、のんびりとできることを探していこうと思う。

 

 

今は色々な人に会って話を聞いている最中だ。

会う人は皆、年末に何が起きたのか知っている人ばかりだ。

大学の友人や前職の同僚、いまでもお付き合いのある人など。

こんなとりとめのない話を嫌な顔ひとつせずに聞いてくれて、本当に頭が上がらない。

 

大学の友人は、とりあえず病んでるときは新しく何を始めても成功した試しがないので、

固定費を削ることに専念しようというアドバイスをくれた。

たしかにそうだな、遺産はあるにせよ傷病手当金でペイするので精一杯だ。

あとは、今回相続などで発生したもろもろの税務処理は税理士にまかせたほうが良いそうだ。

雑所得は増えるので、正直自分がするべき事務手続きがわからないんだな。

勉強するならそのまま税務の勉強をした方が早い気もするが、その辺は環境を変えてから考えよう。

私の何の生産もない話におよそ5時間も付き合ってくれて、「大学の友人がピンチなんだから当たり前でしょ」とまで言ってくれたことに感謝しかない。

とりあえず株式市場で戦ってみると宣言し、ミセスワタナベ(国内株現物)を目指そうか

という結論になった。

父親が死んだときのこととか、遺体がとても冷たかったとか、そのあたりもわかってくれて、なんだかこんな形で会うべきではなく、もっと生産的な話をしながらお酒が飲めたらもっといいんだろうなと思った。頑張らなきゃだ。

 

 

月曜日は前職の同僚男女で、どちらもプログラマだ。

一人はフリーランスプログラマなので、自分がどういう経緯でフリーになったか、

どこが分岐点かを教えてくれた。

結局は環境で、当時常駐していた某巨大企業がコーチングについても自社社員に勉強させていたらしく、コミュニケーションや、上司への信頼からプログラミングをまともに勉強するようになったそうだ。

炎上プロジェクトに所属していたときでも仕事から帰って夜の12時から3時まで勉強していたというのだからものすごいモチベーションを維持してくれる会社なのだなと思った。

私はまだ20代後半なので、選択肢がまだまだあると言ってくれた。

また、一緒に何か作るかとも誘ってくれた。そういった声かけだけでもいい、とても心が楽になった。

 

もう一人は女性エンジニア。

今の会社では結局SQLしか書いておらず(しかもパフォーマンスは加味しないもの)、コーディングスキルも落ちていて自分が何者なのかもよくわかっていない、少なくとも技術からは離れてしまったと伝えたところ、

自分も会社でやらされてたのはSQLの基本だし、それがあったからこそ応用でプログラミングができている。あなたは真面目にデータサイエンス(かつて私は付け焼き刃でデータサイエンスをしていたため)を勉強したほうがいい。アナリストは単価が高い。

とアドバイスをくれた。

 

また、 PythonかRか少なくともLinuxはやっておけとのことだった。

Linuxについては自宅がMacOSだし抵抗はないかもしれない。

前の現場でも小さな定常業務用のシェルも作っていた。

 

みんなわざわざ時間を割いて会ってくれて、私も何かポジティブな経験談や彼らが困っているときに助けることができればと思っているし、その状態にまで回復したいと思う。

心の病の原因

 昨年父が亡くなった。67歳だった。

 亡くなる前日までメールもしていたのに突然だった。

 

 遺品整理をしていたら大量の不採用通知が出てきた。

 途中から開封すらされていなかった。

 

 父は半導体の露光装置の技術者だった。

 ある日、ハローワークでガソリンスタンドの仕事を勧められたと言っていた。

 私は'父は賢くて偉大'なんだというエゴのようなプライドに取り憑かれていて

 「お父さんにも好きな仕事をする権利はある」と返事をした。

 それから父は職業訓練校に通った。以前50代の頃リストラされたときに通っていた学校だ。

 いままで電子回路を専門に仕事をしていたのに、プログラミングの勉強なんかもはじめていた。

 私がプログラマー職に就いたこともあってか、職業訓練校で習ったことを嬉々として話してくれた。

 

 私は父がまた自分に可能性を見つけ、生きがいみたいなのを見つけてくれたのだと思っていた。

 

 

 

 だけどそれは完全なる私のエゴだった。

 

 遺品を整理して出てきたのは、金融機関へのキャッシング履歴、金融資産の現金化(つまり切り崩し)、積もる参考書、大量の酒、そして大量の不採用通知

 

 私は全てを悟った。父に理想を語るだけ語って無理をさせていたのだ。

 幸い、金融資産はあったものの、もう切り崩しにかかりはじめていたため

 現金が無くなってきていたのだ。

 

 私はそんなことを気にも止めず、病気をしては父にお金をもらっていた。

 「お金が無い」なんてこと、父は一度も言わなかった。

 きっと親としての立場や責任、真面目な性格だったしそんなことは言えなかったのだろう。

 

 私がもっと稼げていれば、一人暮らしなんかせずに実家で暮らしてあげれば

 父はお金の管理も家の管理も下手だった。母が様々な管理をしていたが、

 母は介護状態になってしまったため、高校から私が父と一緒に家のサポートをしていた。

 でも一人暮らしがしたくて家を出てしまったのだ。

 

 もう少し気づいてあげるべきだった。

 家の中にはインスタント食品が大量に増えてきていて、年寄りには栄養が少ない生活だっただろうこと、安いお酒を大量に飲んでいたこと、慣れない家計管理をしようとしていたこと、冷蔵庫の中身が近くの100円ローソンで買ったもので埋まっていたこと、

家中にカレンダーや張り紙があったこと、色々挑戦してやめた形跡があったこと

 

 見えていたのにな。気づいてあげられたのにな。

 と考えていたら私が機能しなくなっていた。

 

 考えたってしょうがないのはわかっている。

 だけど、一人の老人にエゴを押し付け、大量の不採用通知が届いてどんな気持ちで亡くなってしまったのだろうと思うとやりきれない気持ちでいっぱいになる。

 

 せめて、もっと楽しい思い出をいっぱいにして、終わることができたんじゃないかと。

 自分の無力さとか、悲しい、苦しい想いのまま亡くなってしまったのではないかと

 そう思うと私はなんて愚かなことを言ってしまったのだろうと。

 

 そんな悲しい想いをもう誰にもさせたくない。

 困っている人に必要なのはエゴを押し付けるのではなく、寄り添って支えてあげることだった。

 

 もう同じ想いを誰にもしてほしくない。

 残る母も大切にしたい、同居人だって大切にしたい、

 そのためにもたくさん頑張らなきゃなのに、頭が動かないんだ。