湯河原で蛍

友人が心が疲れているから癒しにどうかと湯河原の別荘に誘ってくれた。

行きはまた別の友人にピックアップしてもらい、ものすごくホイールの大きな車(スポーツカーらしい)で

車好き特有のふかし(ギアを思いっきり変えて踏み込む技)を何度か体験させてくれた。

 

到着後、目的地から歩いて行けるため不動滝というところに足を運んだ。

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ただただ大自然に触れるということを堪能できた。

道中も、そこかしこに橋がかかっており、どこからでも川が見れる。

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湯河原は箱根のような道並で、片道一車線のところに所狭しと旅館が並んでいる。

歩いている人はほぼ居なかった。概ね車かバス移動だろう。

割と長い時間川を見つめていたため、通りがかるドライバーたちには入水自殺でもするんじゃあないかという一抹の不安を植え付けた自信がある。

 

やはり神道の国。水の国。鳥居が散見された。

曰く、身内に死者が出た年は鳥居を潜るのは穢れ的な観点からだめなのだそうだ。

昨年末だしセーフ?と思いつつ自宅近くの神社は忌避していたものの

通らねば大自然を体感できない地形のため、もういいかと決心し登った。

 

少しだけ呪縛が解けたのかもしれない。

 

夕方、近くで蛍が見れるお祭りをやっていたためそちらへ移動。

本当に見たい風景は肉眼で確認したいため、ホタルの写真は無かったが、とても綺麗だった。

ホタルの観測スポットには既に混んでおり子供がたくさんいた。

煙草吸いながら暗くなるのを待ち、いざ観測スポットへ。

子供達がどこにホタルがいたかを一生懸命教えてくれるので、楽しかった。

 

ホタルの数が増え、一通り堪能した後屋台で焼きそばとところてんを食べた。

コンビニで酒と飲み物、そしてアイスを食べながら帰ったのはなんだか大学生みたいで楽しかった。

 

風呂では一連の相続や手続き、母の行き先などをずっと心配してくれていた友人に具体的に起こったことを話してしまった。

実家の資産状況がこれからマイナスになろうとしていたこと、父が再就職を頑張っていたが、遺品から出てきたのは途中から開封されていない大量の不採用通知であったこと。

療養型病院は延命治療をしないこと。など。

話していると生理現象というか条件付けのように、まだ涙が出てくるので困った。

 

夜、友人たちとゲームをしたり音楽について話したりした。

友人は昔バンドに誘ってくれた人で、音楽を聞くシーンについて、彼は生活のBGMであること

私は音楽の周辺に生活があることという価値観の違いを共有した。

また、心が疲れてしまったことについても彼の周辺でもそう行った人がいて

やはり完璧主義が原因ではないかと意見を頂いた。

たしかにその通りで、物事に正解なんてものは無いのだから。悩むこと自体が無駄なのだ。

 

私としては、今回の旅自体が本当に有り難くて

こういった話を煙草交えながら話せるだけでも生きててよかったなと思った。

そういった話ができる友人を持ったことが嬉しい。

 

結局2時くらいまで駄菓子を食べ、酒を飲んで話したり高校時代の写真を見ていた。

我ながら良い環境に身を置けたと思うし、家庭の状況は良くなかったけれども

あそこの高校に入学できてよかった。

そう思えることも嬉しいし、こうして友人と話す行為自体が生きててよかったと思えるため

私が生きてたことが無駄ではなかったと思えた。

 

それにしても、湯河原の夜は煙草が美味しい。

副作用が計り知れない精神安定剤なんかやめて、煙草にしようかな。