失えばなんだって美しい

父は我々世代の親にありがちな内弁慶、プチ亭主関白、躾は暴力を以って、さらに女が泣くと暴力が加速する、典型的な精神疾病だった。

 

幼少期の我儘、思春期に起こった様々な出来事、生活感の違い、進学進路についてetc...

その都度、私の意思は論理的な解決のないまま暴力で押し込められた。

中学生の頃は家庭の居心地が悪く、部活の部長職でも疲弊し、受験期になるも勉強が不慣れで、いざ勉強しようとするとテレビの音量が大きくて集中できず、サボっている場面ばかり切り取られて怒鳴られ、正直生に対して疲弊していた。

ずっと自殺について考えたり、手首を切ってみたり、援助交際相手目的でおじさんと連絡を取り合ったりしていた。

いざとなったら家出してやろうと思っていた。

 

母親が父に甘えっぱなしということもあり、精神が成熟しておらず、母としての役割も特に果たしておらず、若年の痴呆や統合失調症の症状が出始め、私はパニックになって刃物を持っていたら姉に包丁を向けられたこともあった。

 

今の生活では考えられないような、感情の発露に包まれた生活だったな。

 

私の友人でも親から暴力で躾られている人がいるが、いずれも不登校、メンヘラ、援助交際、果ては親元からとっとと離れていく努力を人一倍にしていた。(早く安定した職に就職する、深夜まで家に帰らない、男を見つけて泊めてもらうなど)

サンプル数は少ないが、暴力が教育に良い寄与の仕方がしないことがわかると思う。

 

もちろん、父は優しいときの記憶のほうが多いし、私の将来を思って自分の意見を貫こうとしていたのかもしれない。(女に学問はいらない、しかしバカ大学でもいいので大学は出ろ、世は学歴社会だ。など)

けど、暴力というのは因果関係や理論的な説明が一切つかないコミュニケーションのため、そこから思考がシャットダウンするというのが最大のデメリットだ。

 

老いて自分の役割が社会から排除されはじめると、父の暴力性は無に還った。最終的には骨にまでなってしまったわけだけども。。

 

写真は良いものだ。なんたって家族写真には暴力の写真が無いのだから。

 

父は年老いたが、実家での生活が窮屈だったため家を出た。

働き始めて、ああこんなに日々忙しかったら仕事にリソース割きすぎて教育まで手が回らないのも頷けると思った。

まして母は教育や躾には力不足だったため、父への負担が大きすぎたのだ。

あの頃の父の状況を振り返って、少しは父の立場に立って考えることができた。

 

老いて性格が丸くなり、さてこんな父でも育ててくれたし親孝行しなければ、しっかりした彼氏を見つけたんだぞ、同棲をしようと思っている、一度顔合わせに食事でもどうか、と報告しようと思った矢先に亡くなってしまった。

 

実に呆気ない。

人間同士の問題は、時間が解決してくれることも多いが、良い報告は早めにしなければ伝わらないこともあるのだと思った。

 

また、亡くなった人の思い出は美化されやすい。

だが、教訓のためにこういった汚い思い出もとっておいたほうがいいと思う。

 

美しさだけでは、本当に苦しんでいる人を救えない。